2010年1月6日水曜日

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書、2009.05)


■タイトルに冠された「今こそ」というタイトルが示す通り、例えば「序論」に「格差社会」議論への言及があるなど、本書は、「政治思想」が普遍性を装った単なる私的利害の発露に終始している昨今の論壇への異議申し立てとして書かれている。仲正はアーレントに即しつつ、あるべき「政治」と現行の<政治>との乖離を以下のように整理している。

<近代においては「政治」とは、様々な利害関心を有する人たちの掲げる異なる主張の間で調整し、各陣営間の力関係からして最も安定しやすい落としどころを見出し、それを社会全体の方針にすることだというような見方が支配的になっている。言い換えれば、経済的な「利益interest」の全体としての増加と各集団への配分が、政治の主要な「関心interest」になっている。そのせいで、各人にとっての物質的な「利害interest」関係をいったん離れて、自らの属する「ポリス=政治的共同体」にとっての「善」を追求すべく、「討議」しつづけるという姿勢・能力を培うことが重視されなくなっている。つまり、「私」にとって利益をもたらしてくれるのが“いい政治”で、「私」に損させるのが“悪い政治”である。そういう「私」たちの利害関係の最大公約数を取る形で、あるいは各利害集団のバランスを取る形で、その都度“政治”が「政党=党派party」の間の取引になっているわけであるー<party>というのは語の作りから見て、「部分part」的なものということである。>[14-15]


■「私」にとっての物質的利害をいったん括弧にくくり、「討議」を通じて「ポリス=政治的共同体」における「善」を追求すること。このような共通「善」の追求過程としての「政治」を理想とするアーレントからしてみれば、現行の「格差社会」論議は、経団連をはじめとする経営者集団(および保守系政治家)と「ロスジェネ」貧困層(および共産党)による、「討議」を欠いた「利益」闘争としての<政治>に他ならない。

■このような極めてアクチュアルな問題関心から書かれた本書ではあるが、アーレントの思想を手際よく整理した格好の入門書ともなっている。以下、本書から読み取れるアーレント思想のポイントを簡単にまとめておこう。

■『全体主義の起源』(1951)は、フロム『自由からの逃走』(1941)とハイエク『隷従への道』(1944)の延長線上にあるといえる。すなわち、三著はともに、西欧的近代の外部たる前近代的「野蛮」に「全体主義」の原因を見るのではなく、西欧的近代の「大衆化」にこそ「全体主義」の起源を見るという共通性を持つからだ。アーレントによれば、強力な「敵」の出現により一定の共同体を「国民」として纏め上げた点に「ナショナリズム」の萌芽を見ることが出来る。(シュミットの「友敵理論」、フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」も参照。)「友/敵」の二項対立的弁証法のもとに形成された西欧の「国民国家」は、資本主義が発達するベースとなり、それが帝国主義政策を招いた。だが重要なのはこの先である。アーレントによれば、「帝国主義」が「全体主義」を招いたのではない。「国民国家」終焉後に登場した「大衆社会」こそが「全体主義」の起源だというのである。ある特定の理想を追求することをやめ「アトム」化した「大衆」は、そうであるがゆえに、逆説的にある特定の「世界観」(物語)へと強力に吸引されてしまう。その典型的な事例を、アーレントはナチスの官吏としてユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンに看取している。アイヒマンはホロコーストという世紀の蛮行をなし得るような特異な人格の持ち主ではなかった。アーレントによれば、しかしそうであるがゆえに、すなわち彼が主体的な判断を停止した凡庸なる「大衆」であったがゆえに、彼は粛々とユダヤ人を殺し続けることが出来たのである。よって、「全体主義」に対峙するに際し、西欧近代の「個人主義」という伝統(物語)は、処方箋として機能し得ないのである。

<全体主義のメンタリティを分析したアーレントは、西欧近代の哲学・政治思想が前提にしてきた「人間」像、「自由意志を持ち、自律的に生きており、自らの理性で善を志向する主体」というイメージが現実から乖離していることを認識するに至った。そうした「主体」観を前提にして、普遍的な正義を確立しようとする近代の論理は、「アイヒマン裁判」のような問題に直面した時、自己矛盾に陥ることになる。>[70]


■このような「全体主義」への処方箋として、フロムは社会民主的連帯を提案し、ハイエクは自由主義による市場原理の徹底(と、そこから立ち上がる主体性)を提案した。しかしアーレントはそのような処方箋の提示を行おうとはしない。そのことは、ある価値観の提示こそが「全体主義」を帰結するというアーレントの主張を、『全体主義の起源』がパフォーマティブに示していることを意味するのだ言ってよい。

■『全体主義の起源』から七年後、『人間の条件』(1958)が刊行される。そこでアーレントは「人間」の条件として①労働②仕事③活動の三点を挙げている。「労働価値説」を唱えた初期マルクスや古典派経済学のアダム・スミスが①の「労働」を重視したのに対し、アーレントは③の「活動」を、しかも「公的領域」における「活動」を重視した。なぜならそれが、「言語」とそれにより構成される共同体の「物の見方」における「複数性」を保障するからだ。

<自他の言語共同体を分ける線をはっきり引いて、「内部」を均質化・純粋化しようとすれば、「物の見方」の多様性は抑圧され、「複数性」は死滅する。「内」と「外」が違うことを認識するだけではなくて、“内”と“外”の境界線がどこにあるのかという解釈自体にバリエーションがあり、かつその“内”の中にも様々なバリエーションがあることを承知しておく必要がある。師であるハイデガーがドイツ語で思考する者にとっての「真理」に拘っていたのに対して、アーレントは特定の言語共同体に限定されない、「人間」の条件としての「複数性」を探求しようとしたのである。「複数性」を生み出し、ヒトを「人間」らしくする「活動」に注目することによって、全体主義的な閉鎖性から離脱しようとするところに、アーレントの言語観の特徴がある。>[87]


■このような「複数性」を保障する「公的領域」における「活動」の典型を、アーレントは古代アテネの「ポリス」に見ている。そこでは「公的領域」と「私的領域」とが截然と区別され、人々は「公的領域」における「活動」にコミットすることで「共通善」、すなわち「公共性」を追求した。他方、同時代、アーレントの影響を受けながらコミュニケーション理論を展開していたユルゲン・ハーバマスは、近代市民社会における「世論」の形成を重視している。すなわち、各個人が喫茶店や読書会などの「私的領域」において意見交換を行いながら新聞などのメディアを通じて「世論」を形成するに至ったことを、「市民的公共圏」の成立として評価しているのだ。だがアーレントは、ハーバマスの言う「私的領域から立ち上がる公共性」に懐疑的である。「私的領域」は結局、物質的利害関係に束縛され、単なる私的感情の発露に終始する恐れがあるからだ。自らの利害を括弧容れした「公的領域」における「活動」によってこそ、「複数性」の保たれた議論が可能となるのである。

<引き籠もって考えるだけでもダメだし、派手なアクションを繰り返すだけでもダメなのである。複数の視点から物を見ることを可能にする討論を行うことが、「活動」力を高めるうえで肝要だが、時間と場所、お互いに自由な人格として認め合っている仲間がいないと、本当の意味で討論することは出来ない。>[112]


■『革命について』(1963)について。アーレントは、マルクス主義における「進歩史観」「階級闘争史観」「疎外論」を警戒する。なぜなら人々は、自らの「疎外」が解除され「自由」になったと感覚した途端、「共通善」を追求するという公共的な「活動」をやめてしまう恐れがあるからだ。アーレントは本書において、このようなマルクス主義の「解放=自由(リバティー)」(つまり疎外論)と、「共通善」を追求する「自由(フリーダム)」を峻別し、後者を称揚したのである。アーレントによれば、前者は弱者(疎外されたもの)への「共感」を媒介として「全体主義」に帰結する恐れがある(例えばフランス革命時のロベスピエール)。そこでアーレントは、アメリカ建国の過程を古代ポリスにパラフレーズしつつ、「公的領域」における「活動」を保証する「自由」を「構成」することの重要さを説く。

<問題は、何故、ロベスピエールたちと違って、アメリカの「建国の父たち」が、健全に機能する「憲法=国家体制」を「創設」することに成功したのかである。アーレントの答えは簡単である。それは彼らが、自分たちがやっていること、つまり政治的共同体を「創設=基礎付ける」こと、そしてその共同体を「憲法」を軸に「構成」することの意味を理解していたからである。旧秩序を破壊して人々を抑圧から解放するだけでなく、同時に自分たちで、人々が共に活動することを可能にする新しい「自由な空間」を創設する必要があることを理解していたのである。>[152]