2010年1月8日金曜日

佐伯啓思『現代民主主義の病理ー戦後日本をどう見るかー』(NHKブックス、1997.01)


80年代前半、浅田彰・中沢新一による「ニューアカ」旋風への反措定として、地味ながらも保守論壇もまた若手を輩出していた。『発言者』(現『表現者』)主幹で、当時東大教授だった西部邁に師事した松原隆一郎(現東大教授)と佐伯啓思(現京大教授)の二人である。1985年、サントリー学芸賞を受賞した『隠された思考ー市場経済のメタフィジックスー』(筑摩書房、1985.06)でデビューした佐伯は、以降、一貫して保守主義・反グローバリゼーション・反米愛国の立場から発言を続け、『正論』『諸君!』といった保守系言論誌の常連となっていった。

■ただし、各著書に繰り返し登場する「学者としての<自覚>」という表現(この「自覚」という言葉が、佐伯的保守思想のキーワードだと思われる。)からも分かる通り、その語り口は極めて論理的であり、例えば西尾某、藤岡某が書き散らす扇情的文章とはかなりの距離を感じさせる。(付言すれば、『新しい歴史教科書を作る会』発足時の中心メンバーだった坂本多加雄(故人)も、明治思想史の研究者としては超一流である。『市場・道徳・秩序』『近代日本精神史論』他参照。)

■本書は、前半が「装われた普遍主義」としての「アメリカニズム」と戦後民主主義者批判、後半は「住専と大蔵省」「オウムとマスコミ」「阪神大震災と市民社会」といった時評的な話題を扱っている。後半部はさすがに扱っている話題が「今さら」感を免れ得ないので、ここでは前半部、特に佐伯における丸山眞男評価に関して整理しておきたい。

■佐伯によれば、例えば大江健三郎に代表される戦後の「進歩的文化人」は、丸山眞男「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946.05→『現代政治の思想と行動』1964.05)の呪縛に縛られているのだという。周知のように丸山は同論文で、戦時期の日本型ファシズムを「無責任の体系」と呼んで批判した。佐伯の整理に従えば、丸山の主張は①個人の確立②(下からの)デモクラシー③自由で知的な討論④市民的な政治参加、この四点に集約される。しかし佐伯によれば、丸山の言説には、一貫して「あいまいさ(アンビギュイティ)=二重性」が看取されるという。

<東大法学部という権威主義の牙城にあって、日本社会の権威主義批判を行うという姿勢。アカデミズムの研究者でありつつ、ジャーナリズムや市民活動に関与する姿勢。日本思想史の研究者でありつつ、西欧政治学の学識によって語る姿勢。日本にいながら西欧的近代の目で日本を対象化する姿勢。こうした「あいまいさ=二重性」こそ、丸山が発言し、影響力を発揮した条件だった。>[78-79]


■しかし、佐伯が批判する丸山の「日本にいながら西欧的近代の目で日本を対象化する姿勢」とは、そもそも丸山が意図したもの(「複眼的思考」「判断の相対化による自己超越」)だったはずだ。よってこの箇所に関する佐伯の丸山批判は的確でないように思われる。しかし実は佐伯は、丸山がナショナリストに他ならなかったことを十分承知してもいるのである。

<奇妙なことに彼は、決してアンチ・ナショナリストではなかった。それは、これら明治思想に関するものを見れば一目瞭然だし、あるいは、西欧のナショナリズムが、きわめて主体的、意識的に選び取られたものだ、というような分析からも見てとることができる。端的に言えば、彼の心中にある思想的基盤は、福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」の精神であったように見える。だから明治について書くときに、彼はもっとも精彩を放ったのである。そして、彼の悲劇は、福沢のテーマがもはや、そのままでは成立しない戦後世界において評論活動を行ったことにあった。>[90]


■丸山は確かに「先進西欧」により「後進日本」を裁断するという「二重性」を犯していた。しかしそれは、戦後を明治維新とだぶらせ、自らを福沢諭吉に擬せんとした丸山の「悲劇」であった。なぜなら戦後とは、西欧化がそのままナショナリズムに直結する明治維新期とは異なり、米ソ冷戦体制の下で、単なる西欧化とは別様なナショナリズムが模索されるべき時期であったはずだからだ。ただ、丸山が福沢的ナショナリストたらんとしていたことは疑うべくもないだろう。だから佐伯によれば、丸山は「悲劇」の思想家なのである。

■そして佐伯によれば、真に批判されるべきなのは、この丸山的「二重性」に無自覚に依拠することで、「先進西欧」を盲信し「後進日本」を断罪した戦後民主主義者達である。彼らは戦後の冷戦体制下、ソ連という明確な「敵」を作ることで「普遍主義」を装った「アメリカニズム」に守られた存在に過ぎない。大江健三郎をはじめとする戦後の進歩派(それはほぼ「岩波文化人」と重なると言ってよい)とは、自前の思想を保持していたわけでは決して無く、丸山思想の無自覚な受容と、冷戦体制というパワーポリティクスのもとで、自己を特権化することに成功したに過ぎない存在なのだった。